カンボジアの首都、プノンペンは
人口100万人を擁する
政治、経済における中心地である。

フランス領として統治されていた時代の名残で
コロニアル風の建物も混在している。
街が開発された当初は「東洋のパリ」、
「インドシナのオアシス」と言われていたほどの
美しい街並みだった。

その後、シアヌーク政権で独立を果たすも
ポル・ポト軍によってプノンペンの住民は
全て農村部に移住させられ、
一時はゴーストタウンと化してしまった。

ポル・ポトによる社会主義政権の誕生と
内戦の影響で街は荒廃の一途をたどり、
首都としての機能は一切失われた。

しかし、1993年の新生「カンボジア王国」
誕生以降、街は再建に向かって
その活気を取り戻しつつある。


- カンボジア政府観光局 -



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こちらで親しくなった
メンリー
クメール人25歳 男性
貧しい農村で生まれ4人兄弟の
末っ子
高等教育を受けたいけれど
両親が高齢で養わなければ
ならず
プノンペンで働いて
お金をためているそうです

チップを多めに
あげるせいか
なぜか メンリーが
僕になついてきて
休日 食事を共に
することになりました

まず、こちらの日本大使館の人に
教えてもらった パチャランと
いうスペイン料理の店

メコン川沿いで、王様の
誕生祝いの花火が
目の前で見られる絶好の
ロケーション

お客は見る限り
カンボジア人は
僕の目の前にいるメンリーだけ
あとはヨーロッパや
他のアジアからの旅行客

スパークリングのグラス
シャルドネ ボトル1本
サングリア一人二杯づつ

前菜3皿、メイン2皿
頼んで2人で60ドル(米ドル)
今の為替だと5千円程度

日本の感覚だと三分の一以下

僕が会計をすませると
彼がいくら?と聞いてくるので
レシートを見せてあげると

目を丸くしている

驚いた彼はこういいました
「僕の月給とほぼ同じだ!」

彼のホテルのレストランの
ウエイターとしての月給は
70ドルということで
こちらの平均的な給料

一晩で月給分 飲み食い
したというのです


物価に対する感覚が
本当に違う

その後、メンリーにローカルが
いく場所

そこは道(地べた)の上に
ビニールシートがひかれた
店(シートの上)に
さそわれました

地面に座って
アンカービールを2本づつ
ちょっとしたつまみを
たのんで2人で5ドルも
いかない

この場所にいると周りは
ローカルの人ばかり

そして まるで
ディズニーのパレード
みたいに入れ替わり
立ち替わり
モノ売りや物乞いの人達が
巡回してきます

地面にすわって
ビールを飲んでいると
僕はこの地と
アジアと
そして地球により
近づいた気が
したのです













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