今日本の中学生の間では、バタフライナイフがはやっているらしい(どうしてもウエストサイド物語を思い出すんだけど..)。


その原因は僕たち全ての中にあると思う。


話を単純化するために一人の母親(男性女性は全く関係ない)を例にとる。


彼女はごく普通のサラリーマンと結婚し、子どもがいて一見とても幸せそうだけど、実は心の中でずっと何か納得出来ないものを抱えこんでいる。そして彼女はその原因が何であるか分からない。


彼女自身は若い時は夢もあったし、まだまだやりたい事もあったのだけど、歳をとってきてエネルギーが落ちてきたり、周囲のプレッシャーに負けて最終的に「楽な」道を選んでしまう。


その妥協したために抱え込んでしまった自分に対する「憎しみ」を彼女は自分も気づかないうちに内在化してしまう。忙しい時はその「憎しみ」を一時忘れることはできても、心の中の"inner child"は泣きっぱなしだ。


彼女は知らず知らずのうちに、子どもを「利用」して自分のかなえられなかった夢や冒険を実現しようとする。本人は自分の自分にたいする「憎しみ」を子どもに対する「愛」と全く勘違いしているので、とてもたちが悪い。


彼女は子どもに言うだろう..「勉強して、いい学校に入りなさい」、 「あなたにだけは、苦労させたくないから」、「あなたのために言っているのに」etc....


単純に考えてもこういったロジックにとんでもない嘘が隠されているのに、本人はいっこうにに気づかない。


苦労しない事=幸せか?、いい学校に行く=幸せか?、いい会社に勤める=幸せか?、出世する=幸せか?、立派になる=幸せか?、母親の幸せの概念=子どもの幸せの概念か?


こどもはなんとなく感性で、大人たちの嘘を見破り、そして親を含めた社会へ大きな不信をいだいてしまう。その結果、バタフライナイフを含めた暴力へとはけ口を見出す。


もし親が本当に自分のやりたい事をやっていたり、少なくともそれを探す努力をしている家庭では、子どもは「愛」という仮面をかぶった親の「憎しみ」を背わされる事なく、本人の意志が尊重され自由に育つ。


こういった家庭で育った子どもはバタフライナイフの代わりに本物の綺麗なバタフライ(蝶)をいっぱい虫かごにつめて、授業中に教室で蝶を一斉に放つといったしゃれたいたずらが出来るようになる。








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