まだ独立なんぞ
これっぽっちも考えていなかった
会社員時代
あるイベントの現場運営を
任された
それは、ちょっとしたショーが
組み込まれたもので、
前座として、
これもまだ駆け出しの
アイドルが呼ばれていた。
それが本田美奈子だった。


歌がメインでない舞台だったので、
アイドルとしての要素を
すべて備えている
典型的な女の子であれば
誰でも良いという基準で
選ばれたのだ。


しかし、
彼女は場や状況にひるむことなく、
その歌手としての
エンターテイメントを
たかだか10分にも満たない時間に
これでもかと詰め込むのだ。


「プロだなあ」
、 言われた仕事なら
何とかこなせる舞台裏の
青っちょろいサラリーマンにも、
その根性が伝わるほどだ。


それ以来、彼女はガッツが違う
エンターティナーだと、
いや、エンターティナーこそ
ガッツの別称なのかもしれないが、
少なからず敬意を払っていた。


そういった思い出を与えてくれたことに
深く感謝し、ご冥福をお祈りします。





  - 安原智樹


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家から最寄の駅に
向かってあるいていた


車道と歩道が一緒になった
やや狭い直線の道路


青く高い空を背景に
太陽に照らされた
実った柿


国道に出る少し手前


どこからともなく
あるメロディーが
流れ込んできた

耳を経由してではなく
直接に僕の中に
流れ込んできた


なんだか懐かしい曲だ


ずいぶん以前だよな、
20年ほどたつだろうか


あの頃僕は
何をしていたのだろう・・
どんな時代だったのだろう・・


あの曲を歌っていた子は
誰だったっけ・・


その人が

どうしているのか
とても
気がかりになった


それにしても
どうして
その曲が
僕の中に
流れ込んで
来たのだろう





本田美奈子さんが
永眠されたのを
ネットのニュースで知ったのは
頭の中に
1986年のマリリンという
曲が流れ込んできた日の
2日後だった





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